ニンマの法器
ニンマの寺院に入ると、いちばんに目を捕えるのはしばしば仏像ではなく器物だ。殿の片隅に立つプルバ、供卓に重ねられたトルマ、喇嘛の手で鳴るダマル鼓、壁一面のタンカと仮面。これらは装飾ではなく、教法の形象化である。一つひとつが、ある見地・ある儀軌・手で掴める一つの法门に対応している。
ニンマはチベット仏教のなかで最古の派であり、その法器の体系ももっとも雑多だ。顕密に共通の基礎的な器物もあれば、大円満や伏蔵の修法と深く結びついた独有のものもある。この頁はもっとも一般的なものから始め、一つずつ、それが何で、何に用い、なぜその形なのかを説く。
一、プルバ:ニンマでもっとも鮮やかな標識
金剛杵がチベット仏教の共通の象徴なら、プルバ(ཕུར་བ་、Phurba、梵名 kīla)はニンマでもっとも鮮やかな紋章である。
その形は独特だ。下端は三稜の鋭刃、中段はしばしば三面の忿怒尊(プルバ金剛)の頭、上端は柄で、しばしば馬頭か半杵を飾る。もとは古インドで天幕を打ち付けるくいだったが、密法に入って「煩悩と魔障を釘で留める」象徴となった。
その密意は三つ。一切の障害と違縁を釘留めにし、我執と二元の分別を貫き、修法の曼荼羅の境界を安立する。ニンマのプルバ金剛(Vajrakīla / Dorje Phurba)の修法は、寺院でもっとも重要な年次法事の一つであり、一年の障害を清めるとされる。
この法门はパドマサンバヴァと直接に関わる。伝説によれば、蓮師がチベット入りした際、まさにプルバの法によってチベットの山川の神々を調伏し、サムイェ寺を無事に建立させたという。だからニンマはしばしば、プルバは「蓮師の手印」であり、この派がチベットの土地と最初に縁を結んだ証だと語る。
二、金剛杵と金剛鈴:不可分の一対
金剛杵(རྡོ་རྗེ་、Dorje)と金剛鈴(དྲིལ་བུ་、Drilbu)は、ほとんどすべての密乗行者の手に一対となって現れる。両者をあわせて「鈴杵」という。
金剛杵は方便(upāya)と慈悲を表し、また壊れない堅固な智慧を表す。鈴は智慧(prajñā)を表し、その空の音は無明を覚醒させる。左手に鈴、右手に杵、胸の前で交差させるのは、密法の本尊のもっとも一般的な姿勢だ。それは声なき宣説――慈悲と智慧は鈴と杵のように不可分である、と。
杵の股数にも意味がある。独股は一真法界を表し、三股は三宝あるいは身語意を、五股は五智五仏を、九股は九乗を表す。ニンマのプルバ法や忿怒本尊の修法では、五股か九股が多く用いられる。
一般の読者にとって、鈴と杵は単なる「法器」ではなく、見ることのできる教義だ。左手に握る智慧は、右手に握る方便と同時に力を入れなければならない。
三、カパーラとカトヴァーンガ:忿怒尊の携え物
忿怒本尊と護法の造形には、見る者を怖がらせる二つの器物がある。カパーラ(ཀ་པཱ་ལ་、kapala、髑髏器)とカトヴァーンガ(ཁ་ཊྭཾ་ག་、khatvāṅga)だ。
カパーラは人間の髑髏で作った供器ないし食器で、そのなかに甘露(amrita)を満たす。その象徴は恐怖ではなく無常――もっとも直接で、避けようのない無常だ。密法はこれをもって行者に、死はいつでも訪れ得、執着は何の役にも立たぬことを思い起こさせる。ニンマの忿怒本尊、たとえばプルバ金剛や大威徳金剛は、多く左の胸の前にカパーラを携える。
カトヴァーンガは長い杖で、上端に乾いた髑髏・生きた髑髏・湿った髑髏と十字金剛杵が順に貫かれ、瑜伽士と忿怒尊の標識である。パドマサンバヴァの造形はしばしばカトヴァーンガを携え、死生を超え一切を自在に馭することを象徴する。
こうした器物はしばしば外から誤解される。鍵は「恐怖」を「警醒」と読むことだ。それらは死を礼賛するのではなく、死を目の前に置くことで、人に真剣に生きるよう促すのである。
四、念珠:もっとも質素で長情の修持
念珠(ཕྲེང་བ་、Mala)は、仏門の器物のなかでもっとも知られているだろう。その基本の機能は計数――一遍の呪を唱えれば一珠を撥ね、百八珠で一回りとする。
ニンマの伝統における念珠の材質にはそれぞれ意味がある。
- 菩提子――もっとも一般的。覚りの種を象徴する。
- 水晶・瑪瑙・瑠璃――その清浄と透明をとり、心性のもとより清浄に対応する。
- 紫檀・沈香――その香と堅さをとり、長時間の持誦に適する。
- 骨製(多くは牦牛の骨か模造)――無常を思い起こさせ、忿怒尊の修法に多く見られる。
ニンマの念珠はしばしばやや大きく、カウンター(གྲངས་ཐག་)は十珠の小粒の珠で、大数を累積する。百八の意味は、ふつう百八の煩悩を断つと説かれる。
日常の修持者にとって、念珠の意味はあらゆる法器以上に大きいかもしれない。それは「修行」という抽象的なことを、手のなかの一つずつ数えられる具体的な動作に変えるからだ。何をすべきかわからないとき、念珠を取り上げ、一遍唱えること、それが始まりである。
五、トルマと曼荼羅:供養の二つの形態
トルマ(གཏོར་མ་、Torma)は、焼いた大麦の粉とバターで捏ね作った供物で、単純な円錐から複雑な多層の彩塑までさまざまだ。それは本尊の仮の住処にも、護法への献供にも、鬼神への施食(གཏོར་བསྔོས་)にもなり得る。ニンマの年次法事では、トルマの塑制は専門の技であり、早ければ数日前から始まり、訓練された僧が閉じて作る。
曼荼羅(མཎྜལ་、Mandala)は、米・宝石・金属の盤で、須弥山と四大部洲を層々に積み上げた宇宙の模型を作り、供養とする。加行を修する際、行者は自ら曼荼羅の盤を拭い、米を積み、唱え、ふつう十万遍を累積する。この動作の密意は、宇宙全体――そして自分が所有すると思い込んでいるその一分まで――をことごとく供養として出し尽くすことだ。
一つは鬼神への食、一つは諸仏への宇宙。一見相反するようだが、実は同じこと――固く握った手を開くこと――である。
六、タンカと仮面:見ることのできる教法
タンカ(ཐང་ཀ་、Thangka)は巻軸形式の仏画だ。ニンマのもっとも一般的な画題はこうだ。
- 師君三尊――寂護・パドマサンバヴァ・チソン・デツェンが並ぶ。ニンマのアイデンティティの視覚的宣告。
- 蓮師八変――パドマサンバヴァの八つの化現(海生金剛・忿怒金剛・釈迦獅子・愛慧上師・蓮花生上師・日光上師・獅子吼・蓮華王)。彼が衆生を度する八つの縁に応じる。
- 皈依境(ཚོགས་ཞིང་)――伝承の上師・本尊・空行・護法を一枚に収めた「伝承の樹」。行者の観修の依止とする。
- プルバ金剛・八大法行(བཀའ་བརྒྱད)――ニンマ独有の本尊の体系。
金剛舞の仮面は、寺院の法会の「跳神(འཆམ་、Cham)」に用いられる。舞者は忿怒や寂静の仮面をつけ、魔障を調伏する場面を演じる。ニンマの金剛舞は多くパドマサンバヴァの伝記やプルバ法と関わり、蔵暦の初十や蓮師の記念日に行われる。
タンカと仮面は、抽象的な教法を目で覚えられる像に変えた。文字の普及しない時代、彼らはチベットの教科書だった。
七、日常の器物の扱いと分寸
一般の読者が、一つや二つを家に置こうとする際、以下の点に留意されたい。
安置:法器は清浄な高い場所に置くのがよく、靴下や雑物と同じ場所にせず、踏んだり跨いだりしない。タンカは乾燥し光の当たらない所に掛け、長く日差しに曝さない。
材質:ニンマの伝統は貴重さを特に強調せず、「清浄」と「意に適う」ことを重んずる。手になじむ念珠こそ、高価でも棚に置かれたままの念珠に勝る。
態度:器物は思い出させるものであって、お守りではない。その役割は、それを見たときに法を思い出させることであって、修行の代わりではない。
分寸:灌頂・本尊の修法・忿怒尊の器物(カパーラなど)に関わるものは、まず具格の上師に依止し、相応の灌頂と口訣を受けてからが如法である。灌頂を受けずに密法を勝手に修するのは、ニンマの伝統で明確に勧められないことだ。
法器の真の価値は、その材質や年代ではなく、それを見た瞬間に、あなたがなろうとした人に立ち返れるかにある。
よくある質問(FAQ)
Q: プルバ(金剛橛)を家に置いてもよいですか?
A: はい。ニンマの伝統ではプルバは主に障害を浄除し壇城を守護するためのもので、ふつうの家庭に置く分には問題なく、清らかで高い場所に置くのがよいとされます。ただし本尊の修法の依り所とするなら、まず相応の灌頂を受けるのが望ましいです。
Q: 数珠は必ず108粒でなければならないのですか?
A: 108は最も一般的な規格ですが、携帯に便利な21・27・54粒の短い数珠もあります。粒数そのものが絶対の決まりというわけではなく、数えて心を攝めることが目的です。
Q: タンカはどこにでも掛けてよいですか?
A: はい。タンカを掛けるのはチベットで一般的な祈福の方法です。直射日光と湿気を避け、低い所や汚れた所を避けるだけで十分です。忿怒本尊や双身像が描かれている場合は、居間以外の場所に掛けるのがよいでしょう。
Q: 法器には開光(せんこう)が必要ですか?
A: 伝統的に、仏像やタンカは装蔵と開光を経て初めて供養の依り所となります。数珠などの器物には必ずしも必要ありません。条件が許せば、寺院や資格あるラマに加被していただくのはもちろん望ましいですが、誠実で恭敬の心こそがより根本です。
図版と映像の出典
- Vajrakilaya (8557221604).jpg · Yurei Fukuro / CC BY 2.0
- Beijing 2009-1007.jpg · G41rn8 / CC BY-SA 4.0
- Vajrakila Guimet 26117.jpg · Vassil / Public domain