ペマ・リンパ

ペマ・リンパ

ニンマ派のブータン人テルトン
ニンマ派・祖師方
直接回答

ペマ・リンパ(Pema Lingpa、1450–1521)は、ブータンにおけるニンマ派のテルトン――伏蔵(テルマ)の発掘者――であり、ブータン各地で三十余の教法と聖物の法類を発掘したとされる。もとは独学の鍛冶屋で、のちに尊崇されるラマとなった。パドマサンバヴァの浄観と、メムバル・ツォ湖から取り出した聖物により、ヒマラヤ仏教で最も愛された人物の一人となった。

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ペマ・リンパとは誰か?

ペマ・リンパは1450年、ブータン中部のブムタン渓谷、クルジェ寺近くに生まれ、チベット王トリソン・デツェンの后イェシェ・ツォギャルの血を引く家系といわれる。職は鍛冶屋であり、鍛冶場は生涯彼のアイデンティティの一部だった。正式な教育はわずかしか受けなかった。伝記によれば、約二十五歳のころパドマサンバヴァの化身であると示す浄観を次第に体得するようになった。

彼はニンマ派の五人の「王」級テルトンの一人に数えられる。テルトン(伏蔵発掘者)はパドマサンバヴァの近侍の化身と見なされる。伏蔵を秘めて隠したままにした多くのテルトンと異なり、ペマ・リンパは公に教法を説き、ブータンの宗教生活の支柱となった。

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いかにして伏蔵の発掘が始まったか?

転機は一つの浄観にあった。パドマサンバヴァが、ブータンのメムバル・ツォ湖(別名メバルツォ、「燃える湖」)から伏蔵を取るよう命じたのである。ペマ・リンパは灯した酥油の灯明を手に湖に飛び込み、水面下の光明の境に入り、ダーキニーから伏蔵の経函と一仏像を受けた。彼が水面に戻ったとき、灯は燃え続け、聖物は手にあった。

この出来事は伝説となった。疑う者たちが証明を求め、灯明の消えぬことと取り出した聖物が人々を納得させた。その後、彼は生涯で三十余の伏蔵法類を発掘した。いずれもパドマサンバヴァとイェシェ・ツォギャルがかつてブータンの人々のために埋めたとされる。

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いかなる伏蔵を発掘したか?

ペマ・リンパの伏蔵はニンマ修持の全範囲にわたる。ヴァジュラキーラヤやツェドゥプ(長寿法)などの本尊儀軌、ゾクチェンの教え、そして有名なザンドク・パルリ(銅色の山、パドマサンバヴァの浄土)の浄観が含まれる。彼が詳述したこの浄土は、チベットの浄土美術の標準的な範型となった。その法類は総じてペマ・リンパ・テルマ(pad gling gter chos)と呼ばれる。

伏蔵を秘したままにしたテルトンと異なり、ペマ・リンパは公に、広く説き、ブムタンとウー・ツァン(中央チベット)を往復した。彼の教えはブータンの在家衆にふさわしい、平易で信心深い修持を重んじ、それがニンマ伝統をブータンの民族的生活に深く根付かせた。

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ブータンにおける彼の遺産は何か?

ペマ・リンパは1501年、タムシン寺(「黄金の寺」、Lhundrub Chöling)を、またブムタンにクンザンリン寺を創建した。その法脈は後裔――ペマ・リンパの転生――に受け継がれ、最も顕著なのはポブジカ渓谷のガンテ寺に座すガンテン・トゥルク(sGang steng sprul sku)である。現在のブータンワンチュク王家の起源は、ペマ・リンパの子ドラクギャルに遡る。

このためペマ・リンパはブータンにおいて宗教的であるのみならず、民族的象徴でもある。彼の伏蔵と寺院はブータン的アイデンティティの核心であり、ワンチュクの王たちは歴史的にその法脈の護持者であった。

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今日ペマ・リンパはいかに記憶されているか?

毎年、タムシン寺はペマ・リンパの伏蔵発掘を再現する法会を催し、彼に帰せられる仮面舞(チャム)が演じられる。彼の伏蔵法類は今なおニンマおよびリメの修持において活発に用いられ、ザンドク・パルリの彼の浄観の画像は、ヒマラヤ一帯のパドマサンバヴァの浄土の作画を今も導いている。

国際的な読者にとって、ペマ・リンパは生きた例証である。ニンマの伏蔵伝統がいかにブータンの日常――鍛冶屋の炉、山の湖――を生きた教法の源へと変え、一人の発掘者が一つの民族の霊的アイデンティティを形づくったかを示す例である。

よくある質問

ペマ・リンパは実在の人物か?

そうである。1450年にブータンのブムタンに生まれ、1521年に入滅した、記録に残る鍛冶屋にしてラマである。その伏蔵、創建した寺院(タムシン、クンザンリン)、後裔(ガンテン・トゥルクの法脈)はいずれも検証可能。伝記はドゥジョム・リンポチェの史書および『Treasury of Lives』にある。

テルトンとは何か?

テルトン(gter ston、「伏蔵発掘者」)は、ニンマ派において伏蔵(テルマ)を発掘する行者である。伏蔵とは、パドマサンバヴァ、イェシェ・ツォギャル、あるいは後の大師が埋め、時を得て取り出される教法・経函・聖物をいう。テルトンはパドマサンバヴァの近侍の化身と認められる。ペマ・リンパは五人の「王」級テルトンの一人である。

メムバル・ツォ湖で何が起きたか?

約二十五歳のとき、ペマ・リンパは灯した酥油の灯明を手にメムバル・ツォ湖に飛び込み、パドマサンバヴァが示した水中の光明の境から伏蔵の経函と仏像を取り出し、灯明の燃え続くうちに浮上した。この出来事は疑う者らに答え、彼のテルトンとしての生涯の幕開けとなった。

ペマ・リンパはどの寺院を創建したか?

1501年にタムシン寺(Lhundrub Chöling、「黄金の寺」)を、ブムタンにクンザンリン寺を創建した。タムシン寺は今も存続し、毎年彼の伏蔵発掘の法会を催す。後裔ガンテン・トゥルクの座すガンテ寺はその法脈と密に関わる。

ブータン王家はペマ・リンパと関連するか?

関連する。現在のブータン・ワンチュク王家は、ペマ・リンパの子ドラクギャルに起源を遡る。諸王は歴史的にその法脈の護持者であり、彼はブータンにおいて宗教的であると同時に民族的象徴でもある。

SageWish · 五寺之门——ニンマ派。本稿は国際的な読者向けの教育的紹介であり、宗教的伝授を構成しない。出典:Treasury of Lives のペマ・リンパ伝、ドゥジョム・リンポチェ『ニンマ派のチベット仏教』(1991)、『ペマ・リンパの生涯』(Gyurme Dorje 訳)、Francoise Pommaret『ブータン』(2003)。